感染症としての《危険》

感染症としての《危険》

失敗はしでかした後に気付く

道端の草の茎を、左の人差し指にからめとり、引き抜こうとして失敗しました。指の皮よりも茎の方が丈夫だったのです。第一関節のところが切れてしまいました。

一昨日、コロナに感染し自宅療養中とのメールに対して、油断大敵の四字熟語を返信したところでした。こんな形でわが身にも災難が降りかかるとは・・・。

新鮮な傷口に特有の、かすかな拍動を指先に感じながら、雨上がりのさわやかな景色を背景に記念写真を撮りました。そのとき、行く手に鮮やかなピンクのリボンを発見したのです。

土手の葦の穂先にからまって、ゆるい風に吹かれています。私には、それが風景の切り傷に見えました。風景も出血しています。

人が作り出したものは、ある種の危険をはらんでいますね。意図したわけではなくても、知らず知らずのうちに風景を切り裂いているのです。風景だけではないでしょう。何気なく発した言葉が、誰かの心の安穏を無残に突き崩し、かき乱し、決定的な傷跡を残してしまうことだってあるかも知れません。

《危険》は多種多様で、いたるところに潜んでいます。まるで感染症のようですね。

きつく握りしめた人差し指のズキズキ感はすっかりなくなりました。まあ、苦痛とはいえないほどの、いっときの辛抱でした。

ぶ厚い雲間から、朝のひかりが垂直に降り注いでいます。東の彼方、ちょうど奈良の方角に広がる街並みの、ある限られたエリアだけを、その光はなにかのメッセージででもあるかのように明るく輝かせています。わたしは、突拍子もなく遥かな未来の風景を考えたのでした。

いったい、人類の痕跡は、どのくらいの厚さの地層としてこの地球上に残されるものだろうかと。



アートギャラリー まなりや
大阪府枚方市。京阪本線 牧野駅から徒歩3分のアートギャラリー。

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